アジアやアフリカの人たちは"外人"ですらないのでしょうか?
1984年1月25日 クロワッサン 「私の言いたいこと」に掲載された記事です。



 今、騎場の留学生会館には約150人、五十数か国からの国費留学生が生活しています。宗教や皮膚の色、母 国語は違っていても、学生たちはとても仲がいいですね。中には、政治的に対立する国同士の学生もいるのですが、まったく関係ありません。
 ところが、一歩外へ出ると、彼らは孤立してしまう。地域の人たちや日本人学生と接するチャンスが、ほとんどないのです。たとえば道を、それも日本語で尋 ねたとしても、〝英語ができないから〟と、逃げられてしまうなんていうことが、いまだに少なくありません。外国人=英語、という観念は今も根強いんです ね。
 欧米系の学生の場合はまだ、自国語を教えたりとか、それこそ遊び仲間としてでも、日本人と知り合う機会があるのですが、アジアやアフリカの学生たちとなると、そうはいきません。
 この会館を出て、ひとり住まいをしようと下宿探しをする時でも、欧米系の学生は比較的簡単に部屋を借りられるのに、そうでない場合だと、4回も5回も探し歩いて、結局見つからずに疲れ果ててここへ戻ってくる、という例がよくあるのです。
〝ガイジン〟という呼ばれ方をすると、欧米の人たちはとても嫌がりますね。確かにこの言葉は一種の差別用語なんですが、あれは相手を上に見ての差別です ね。アジアやアフリカの人たちを〝ガイジン〟と呼ぶこと?て、あまりありませんよね? 彼らは外人ですらないのでしょうか?
 日本人が海外でいろいろ批判にさらされている現状を考えれば、こういう時こそ日本に迎えた外国の人たちに、するべきことがあると思うのです。特に、今、 日本が役に立てるのは、欧米の国々よりもアジア・アフリカの発展途上国のはず。彼らこそ、日本人たちと接触したがっているのです。
 留学生と交流するパーティーを開くとか、ホームステイをさせてくれるとか、あるいはここで日本語講座の手伝いをしてみようとか思う方たちがい.たら、とてもうれしいことです。私たちも協力を惜しみません。
 観光旅行に出かけて、風景を眺めてくることだけが、世界を知ることではないはずです。日本にいながらでも、人を知ることを通して世界と交流できるのです。もっと気軽に近づいてほしい。素晴らしい人たちがたくさんいるのですから。