日本語を歩く

 朝日新聞日曜版に1997年6月15日から8月3日までの8回にわたって連載した「日本語を歩く」の記事です。
 読者からのお手紙をたくさんいただき、嬉しい悲鳴をあげた記憶があります。

目次


1997年6月15日 日曜日 ポパポパ

 四月に来日した留学生たちも、日本の生活にすっかり慣れて、楽しそうに授業に顔を見せる。日本特有のジメジメした梅雨の季節さえ、彼らは楽しんでいるかのようだ。
 「先生、今日も雨ですね。でも、日本の雨はタイの雨とはぜんぜん違いますね」と、タイからの留学生プラユーン君。「タイの雨はサーサー、強い雨。でも、日本の雨は……?」。表現に詰まったのか困ったような顔をして、私を見つめる。
 「こういう雨はねー」。私は外を指しながら「シトシト」と教える。
 「メキシコではチビチビです」とホルン君。スペイン語にも、しめやかに降る雨の音を指す擬音語が存在するようだ。
 タイで雨といえば、スコールを意味する。日本語のザーザーに当たる「サーサー」はあるが、シトシトと一日中降る雨の擬音語はない。強いてあげるなら「ポパポパ」で、これは日本語のポツポツに似ている。スコールになる前に降りだす雨の音だ。
 擬音語は、外界の音と直接的なつながりがある。「シトシト」はやはり日本でしか味わえない事柄の一つだろう。
 「先生、じやあ、あの音は?」。いたずらっ子のような笑顔で、ハンガリーの留学生が聞く。耳を澄ますと、空のはるかかなたで、雷の音がする。埼玉の上空あたりで、今ごろ雷様が大暴れしているのかもしれない。
 「あれはね、ゴロゴロ」
 思いっきり低い声で答えると、留学生たちもまねして、「ゴロゴロ、ゴロゴロ」。雷は世界共通の自然現象だから、かえって理解しやすいのだろう。
 「でも、私たちの言葉にはこういう表現はぜんぜんありません」と、フランスやインドネシアからの留学生たち。擬音語・擬態語には二語の反復が多い。そのほかにも特有のパターンがある。どんな風に教えるか、それが悩みだ。


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1997年6月22日 日曜日 降りる時に

 大学会館の前で、インドからの留学生アニルさんが、彼のチューター(相談相手)の木村君と話している。
 「じゃ、電車を降りる時に電話をします」。ちょっと驚いた表情で木村君、「えっ、アニルさんは携帯電話持っているの?」「いいえ、持っていません。テレホンカードを持っています」
 澄まして答えるアニルさんに、「でも、電車の中には公衆電話はないでしょ」と木村君。どうも話がかみ合ってないようだ。アニルさんは、質問を解しかねたように、そばで聞いている私の顔を見つめた。
 「アニルさん、『電車を降りる時』に電話をするのではなく、『電車を降りた時』に電話をするんですよね」と私が助け舟。木村君は「なーんだ。そういうことだったんですか。チューターを一年もやっているのに、まただ」。
 勘違いしたのも、無理はない。「電車を降りる時に電話する」といえば、電車を「降りる前に」という意味だから、電車の中から電話することになり、それなら携帯電話だろうという、思考回路が働いたことになる。
 アニルさんが「電車を降りた時電話します」と言えば、降りてから電話することになり、彼のテレホンカードも役に立つ。
 「この使い方って結構難しいですよね。高等な文法っていうか-」と木村君。「そうね。ところで木村君、引っ越しをしたそうね。引っ越す時に大家さんにちゃんとあいさつした?」「ええ、ちゃんと。今度の大家さんは親切そうでよかったですよ」
 私の質問を聞き違えたのだろうか。彼の答えは、返事になっていない。彼が前に住んでいたアパートの大家さんともめたと聞いていたので、心配していたのだが、彼は引っ越した先の大家さんの話をしている。
 「引っ越した時」だけでなく、「引っ越す時」も、あいさつしたのだろうか。



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1997年6月29日 日曜日 約束を解約する

 初夏の日差しの中を三人の若者たちが留学生センターを訪れた。留学生の話し相手にお招きしたのだ。
 「水曜日の午後なのによく来られましたね」と言うと、A君は「僕、定職についていませんから」、B君は「まだ決まった仕事がないんです」、C君は「僕もフリーターで-」と明るく答える。時代も変わったものだと思う。
 「先生、すみませんが意味が分かりません」とロシアからの留学生ミミーの言葉で、三人の仕事を解説しようとして、単に意味の説明だけではすまないことに気付いた。
 A君は漢語を使い、B君はそれを大和言葉に置き換えている。C君はちょっとしゃれた言い方で「フリーター」、意味は近いが、ニュアンスが大分違う。何かほかに良い例はないだろうか。
 「宿屋、旅館、ホテル」はどうだろう。「宿屋」よりは漢語の「旅館」の方が立派な構えを連想させる。ホテルといえば、普通は洋風のものを連想する。外来文化を尊ぶ日本人は、和語、漢語、外来語を上手に使い分けながら、語彙(ごい)の数を増やしてきたのだ。
  「先生、明日の約束を解約してもいいですか? ビザのため大使館に行かなければなりません」と、ネパールのクンミさん。これこそ説明するのに良い例だ。 「解約」は漢語で、保険など契約したものを取り消すときに使う。単なる口約束なら、和語の「取り消す」が適当だ。しかし、飛行機の切符などは、外来語の 「キャンセル」を使う。クンミさんには、まだこの使い分けは無理かもしれない。
 「和語はくだけた時に使うことが多く、漢語は公文書や決まった席でのスピーチに多いのよ」。私たちの身の回りから、この使い分けを拾ってみよう。「贈り 物、進物、プレゼント」「赤ん坊、乳児、ベビー」「押し入れ、納戸、クローゼット」。留学生が悲鳴を上げるのも無理はないと思う。



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1997年7月6日 日曜日 狭いもので

 いよいよ夏休みが近づいてきた。  留学生にホームステイを体験させたいと、日本人家庭の方々とお見合いの機会を作った。たった数日の滞在でも、相性によって留学生の日本人観がまったく変 わるからだ。シングルの女性は案外スンナリと決まる。ところが、男性で奥さん、子供連れとなるとなかなか受け入れてくれる人がいない。
 「私はバングラデシュのアロンです。どうぞよろしく」という声に、十数人の方々は「家が狭いものですから」「子供がまだ小さいもので」としり込みする。この「-もので」という言い方は言い訳にピッタリだ。
 同席している同僚が「アロンさんのような家族こそ、歓迎してあげるものだと思うけどね」とつぶやく。うーん、いくら「歓迎してあげるもの」と言われても-。
 彼の言葉の「-もの」には「当然そうすべき」とか「そうするのが自然」という意味が込められている。「子供は外で遊ぶものです」「赤ちゃんは泣くものです」「こんな時は助けてあげるものです」のようにだ。
 私が若かったころは、留学生五人ぐらいは平気で泊めたものなのに(「-たもの」は過去の経験を表す)。留学生と年齢も近かったから、床に布団を敷き、一 緒に寝ころんでビデオなどを見たものだ(この場合の「もの」は感慨を込めて使う)。悲しいかな都会のマンション暮らし、マンション(大邸宅)とは名ばかり の近代長屋で、とてもアロンさん一家のお持てなしはできない。どこからか、「留学生の五人や十人歓迎ですよ。たいした持てなしはできませんが、どうぞ我が 家に」と言って下さる方が現れないだろうか。
 私が山口大学に勤務していた頃は、「僕のアメリカ留学中は、向こうの家庭にお世話になったものです」といって留学生を預かって下さる方がいらしたのだが--。


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1997年7月13日 日曜日 ただの日本語教師

 都内のホテルのパーティー会場は、華やかな雰囲気にあふれ、秋篠宮妃の紀子様がにこやかに談笑されている。今日はある新聞社の児童出版文化賞贈呈式で、拙著「日本語ってどんな言葉?」(筑摩書房)も受賞することになったのだった。
 「私はただの日本語教師です。こうして賞がいただけるのは勉強熱心な留学生と優秀な編集者のおかげです」と申し上げると、紀子様はただほほ笑んでいらっしゃるだけ。
 実は、これは本心なのだ。言葉への興味、外国の文化への好奇心、親から伝わった楽天的な性格、こういったものが日本語教師という仕事にぴったりだった。いつの間にか大学教授という肩書をいただくようになったが、まだ日本語発見の旅の途上にある。
 そばにいた編集者が.「あいさつされた文句の『ただの日本語教師』は名セリフでしたよ。あの使い方、先生のご本にもありましたね」という。コンサートで、留学生が単純に「あなたは有名な歌手ですか」と質問して、私は冷や汗を流したのだった。
 あれは確か、横浜のホテルでのコンサートだった。往年の大歌手に向かって質問した留学生に、彼女は「ただの歌手よ」と答え、えん然と立ち去っていったのだ。
 この場合の「ただの○○」には、「特別に言うほどの値打ちがない」という意味がある。しかし、留学生の日本語の語彙(ごい)力では、「ただ=無料」としか解釈できず、「コンサートは無料らしい」と思ったのだ。
 「ただほほ笑んでいるだけ」は「ただ」の別な使い方。この場合は「コメントは何もおっしゃらず、ほほ笑むことのみ」という意味になる。
 自己紹介で言う「ただの○○」という使い方は、日本語の謙そん表現の一種だが、英語に翻訳するとどうなるだろうか-。ホタテのテリーヌを口に運びながら、そんなことを考えていた。


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1997年7月20日 日曜日 「来っていますか」

 留学生たちを、我が家の食事に招いた。今日は総勢十一人。何をどのくらい作ったらよいのか見当がつかない。
 「先生、こんにちは」。教員研修コースの学生やオーストラリアからの短期留学の学生たちが到着した。オードブルのホタテ貝に「生まれて初めて貝を食べました。おいしい」と、メキシコのフェリペさん。昨夜から準備した甲斐(かい)がある。
 後から到着したUさんが、「もう、皆さんきっていますか」と聞く。「ええ、もう来ていますよ」と私。「来ています」というところを「来って」と「っ」を入れてしまうのは、彼に限ったことではない。
 日本語の歴史をたどってみると、奈良時代や平安時代のアクセントは現在とだいぶ違っていた。留学生が一番苦労する促音の「っ」はそのころは存在しなかった。
 当時の発音を復元した「源氏物語」のテープを留学生たちに聞かせると、これが同じ日本語か、と驚いていた。現在の日本語のように、メリハリのある「子音十母音」ではなかった。「そのころ日本に来ればよかった」とTさんがいった。
 日本語のルールは難しい。「切る」は「切っています」に、「着る」は「着ています」に、そして「来る」は「来ています」になる。
  表意文字の漢字が存在するから、日本人は混乱せずにすむのだが、留学生たちは表音文字の世界の住人である。混乱するのも無理はない。この場合、一番確実な 覚え方は五段活用動斜「切る」は「切って」に、一段活用の「着る」は「着て」と、動詞のグループの違いを認識することだ。「練る」(五段)は「練って」、 「寝る」(一段)は「寝て」のようにだ。
 日本人は、文法が嫌いだ。「文法など知らなくても、話はできる」という人も多い。でも、脳細胞はキチンと日本語の文法を記憶しているのです。


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1997年7月27日 日曜日 拝啓 森有礼様

 神奈川県の葉山町に総合研究大学院大学がある。国立大学としては異例の、学部を持たない、大学院だけの大学である。
 今ここで、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツからの研究者八十九人の短期研修が 始まろうとしている。文部省が招いた、二十代後半から三十代、次世代を担う人たちだ。私は日本語に関する講演と日本語集中プログラムのコーディネートを任された。
 一日目、階段状の講演会場に座る研究者たちを前に、私は講演のスタイルをどうするか迷っていた。  英文で準備した原稿でいくべきか、それとも英語でのディスカッションを中心にして進めるべきか。  「日本語を文法、発音、語彙(ごい)、文字に分けたとき、一番難しいのは何だと思いますか?」  私の問いかけに、「文字」「私もそう思う」「とくに漢字が難しいと思う」「でも、フランス人にとっては発音も難しい」「日本語では待遇の違いで言葉が違うと聞きましたが-」といった意見が、会場のあちこちの席から、次々と飛び出した。
 彼らは昨日、成田空港に着いたばかりだというのに、時差ボケなどはどこへやらという感じだ。これなら、一方的に話すより、双方向性のある討論スタイルの方がよい。私はそう判断した。
 「確かに漢字は難しい。でも、スクリーンを見てください。日本人は漢字の部分から意味を素早く読み取ることができる。表意文字と表音文字の組み合わせは、とても便利だとは思いませんか」
 明治の初年、後に文部人臣になった森有礼は「非論理的な国語(日本語)を全廃し、英語をもって同語としよう」と提言したという。
 その先進諸国の若手研究者たちが、日本語を熱心に学ぼうとしている。この光景を森有礼が見たら、何と言うだろうか。彼の驚く顔を見てみたい気がする。


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1997年8月3日 日曜日 異文化間の対話

 日本語の上級レベルに達した留学生を対象にした「日本事情」という科目がある。  十年ほど前、山口大学で初めてこの科目を担当することになった時は、何を教えるのか、どんな風に教えるのか、テキストはあるのか、全く分からず当惑した。
  他大学で教えていらっしゃる方々に電話をかけたが、日本人論の本をテキストにしている先生、民話を留学生と読んでいる先生、経済学や国語学の先生に講義を お願いし、自分は解説役を務めている先生と実にさまざま、「この授業には決まった方法がないようだから、自分なりに進めるしかない」と判断した。
 授業では、日本社会の特徴と言われるステレオタイプ的な事柄を取り上げ、留学生同士が日本語でディスカッションすることにした。取り上げた項目は「単身赴任は是か非か」「恥の意識と罪の意識」「終身雇用制度をどう考えるか」「あなたの国にも教育ママはいますか」など。
 以前、外国人記者たちに指導した経験をもとにまとめた『日本事情』(北星堂)がテキストとして役に立った。
 留学生だけで話し合うよりも、日本人学生を加えた方が双方にとって有意義な時間になる。昨年からは、留学生と日本人学生のディスカッションを中心とする「異文化間コミュニケーション論」という授業も担当している。
 留学生に日本語で発表する場を提供する目的だった。しかし、結果的には、日本人学生が留学生と話し合うことで、自らの社会を見つめ直す刺激ともなってい るようだ。四十五人定員のクラスに、去年も今年も三百人くらいの受講希望者が押し掛けた。説明会を五回に分け、リポート提出で選抜したのだった。
 大学が荒廃していると言われる。しかし、学生たちは魅力的な授業には飛び付いてくる。魅力の源泉は言うまでもなく、留学生たちの持つ様々な文化的背景だ。私にとっても刺激的な授業である。


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